沼田祇園囃子が「いつ」「どのように」沼田に伝わって来たか、また、お囃子と切り離す事の出来ない山車の出現の時期がいつなのか定かではない。沼田の祭礼の歴史の中でり「山車」という言葉が出てくる現存する資料は「上之町祭典録」で、これは明治18年から記載されたもので、その最初に山車という記載がある。お囃子について、富士見付誌に「横室の萩原元治は能管からヒントを得て梅の木の太笛を作り吹きまくったので、沼田、渋川、前橋あたりの祇園祭では彼の笛は秀でて誰も追随する者がなかった。萩原元治の笛は豪壮そのもので他を圧して遠音がするので有名で、沼田の上之町では彼を手放さず晩年まで沼田の祭りをつとめた。元治は昭和5年2月に55歳で惜しくも没した」とあり、その前後にわたり同様に笛を吹く人を招いてお囃子を奏でていたようである。現在ある資料や言い伝えを果めても、推測の域を出ないが、前橋、渋川、沼田の関わりは大きく、江戸時代の後半から明治の始めに前橋近在から沼田に伝わって来たものと考えられる。沼田に伝わったお囃子で特筆すべきは、各地に分布する上州系統の「さんてこ囃子」の中にあって、現在伝承されているお囃子は「さんてこ」「テケテットン」「吉原かんら」「籠まわし」「麒麟」「夜神楽」など口伝のため奇妙とも思える曲目があるが6曲と多く、そして沼田の祇園囃子はテンポがゆっくりで、締め太鼓の音を高く調律し、たたくときの強弱をはっきりさせる奏法で、優雅な響きに仕上がっている。これは沼田の派手な花柳界や、沼田の多彩な文化の影響を大きく受け、上州系統の「さんてこ囃子」が最北端の地で「沼田祇園囃」として確ぐされたものと言える。
サンテコ (保存会連合会 約42秒 125Kb) |
テケテットン (中町保存会 約27秒 81Kb) |
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麒 麟 (保存会連合会 約22秒 68Kb) |
吉原カンラ (上之町保存会 約40秒 119Kb) |
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籠まわし (上之町保存会 約32秒 95Kb) |
夜神楽 (上之町保存会 約35秒 105Kb) |
囃子の語源について、倉林正次氏著「埼玉県民俗芸能誌」に「ハヤシという言葉はフヤス、フユなど増殖を意味する言葉と関係があり、占くは霊魂を分割するという意味をもっていた。ハヤシは、祭りなどに神霊を分割してくっつけた神木を神社から、そちこちの祭の場に運搬するときに囃される音楽を称すのが、本末の意味であった」と記されている。囃子という、音楽のリズムを高調させるため打楽器を主奏とした演奏形式は占くより存在し、近世以降はこれに笛が加わり、能楽囃子、神楽囃子が登場し、鉦を加える変化をみせる。これらの楽器編制は祭り囃子のそれと類似しており、祭囃子はその形成において神楽囃子の影響を強く受けているといえる。祭囃白こは、それに伴い神輿を担いだり、山車を曳行するということがつきものであるが、こうした演奏形態の源流は京都八坂神社の祇園会にあり、祇園祭における山車(山鉾)は神霊の分身で、これを祭場に運搬するときに囃されたのが祇園囃子である。そして中世以降の祇園信仰の流行に伴い、山車を曳行し、囃子を奏でるという祭事形態が全国に広がっていったのである。北関東地方には、楽器の編制、曲目の名称、囃子の調子などの違いから、神田囃子や葛西囃子の流れをくむ「江戸囃子」、秩父の「屋台囃子」、そして上州系統の囃子といわれる「さんてこ囃子」がある。さんてこ囃子は群馬県中毛から北毛にかけ、また埼玉県の本庄、熊谷近辺にも分布しており、その発祥はさだかではないが、埼玉県の本庄においても、渋川においても、また沼田においても佐波郡玉村町や勢多郡富士見村など前橋近郊から笛の名人を招いたとの資料が残されており、また関東の三大祇園といわれる世良田の名前を見逃すことはできない。