その昔、鍛冶町は、須賀神社の氏子十二ケ町のうち「い組」と称され、須賀神社と榛名神社の氏子分け以降も六ケ町筆頭として祭りを盛り立てていたが、社会状況や戦前より鍛冶町の通りが前橋行きのバスの路線となり、交通事情もてつだって次第に衰退して行った模様である。戦前は木組み山車を出し、曳き廻していたが、戦後は有志によりトラックを山車に仕立てて参加していたが、祭りが終われば解体され永続的なものとはならず、消滅してしまった。しばらくは子供御輿等で参加していたが、平成6年中町の山車新造により、古い山車を譲り受け約30年ぶりに山車を出すことができたのである。その原動力となったのは、同年結成された鍛冶町若手会で、その後「鍛誠会」が中心となり、山車人形「素戔嗚尊」の新調と山車の大改修を行ってきたが、山車復活後16年目を迎える今年度はコミュニティ補助事業の適用を受け、人形装束の新調、高張提灯や太鼓の整備、山車の更なる改修などを行う予定である。
祭囃子伝承フォーラムにて |
昭和30年代の山車 |
い組の子供達 |
い組 山車 |
須賀神社境内にて片付け作業 |
祭囃子伝承フォーラムにて |
い組の子供達? |
第32回 祇園囃子競演会優勝 |
集合写真 |