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沼田祇園囃子保存会連合会は、沼田市内のまんど(山車)保有の10ヶ町から組織されています。

お問い合わせは

〒378-0047 群馬県沼田市上之町1155 事務局

上之町 祭吉連か組 上之町 祭吉連

上之町に残されている祭典録には明治18年より沼田の祇園祭、特に上之町の祭典執行の様子が克明に記録されている。祭典録にある通り、明治時代より山車を曳き出しており、お囃子もそれに合わせて演奏され古くは前橋近郊より笛吹きを依頼した。 上之町では他地域や他町に笛吹きを依存し、町内には笛を吹く人が居らず、昭和40年代にはテープレコーダーを使用していた。しかし須田清七氏が祭吉連の創設と共に笛を習得し笛朋連や少年笛錬会を組織し、一般から青少年へとその和を広げ、上之町を始め他町にも広め、今日の保存会の礎をなした。上之町の祭礼の変遷や、山車の出現は定かではないが、沼田で最も古くから曳き出されたものの一つである。 大正の末期には渋川の南町より山車を買い受け昭和37年まで使用したが痛みが激しく、また祭礼の衰退期にもあたり、再建することなくトラックのシャーシーを使って細々と祭礼を実施していた。昭和45年に町内若手有志により、祇園祭の復興を願い祭吉連が結成され徐々に祭礼が盛り上がっていき、また故郷指向の波にものり、昭和50年ついに新しい山車の建造を決定し翌々年の昭和52年に2千万円の巨費を投じて立派に完成した。 この山車は昭和59年 60年に東京銀座で行われた「大銀座祭・音と光のパレード」に出演した。上之町のお囃子指導は祭吉連と共に若き女性たちがあたり、祭典 においてはご意見番的立場の祭吉のんき連をはじめとして全戸の参加要請のもと全町、全区民あげて行われている。

information上之町の山車(まんど)の構造


上之町の様子


四方幕

か 組

後部、鬼板と懸魚

か組子供用半纏

祭吉連会長半纏

祭吉連・会長・呑気連半纏

ゆうこりんバンド 天狗広場

中島史恵さんとお囃子練習

ホンジャマカの石塚英彦さん

上之町須賀神社御仮屋前

平成15年・人形衣装新調

大正8年 上之町の山車

祭吉連・刺子半纏

旧荒木屋横にて

天狗みこしと上之町の山車

お馬出し通り

東倉内・狭い昭和通り

昭和45年 上之町交差点

祭吉連40周年祝賀会

全身打撲

担ぐ準備?
現在の上之町のまんど(山車)は昭和52年製作。特徴は唐破風の総屋根、上記の画像の通り山車形式(江戸型山車)では珍しい山車全長にわたる屋根に鉾台が付く。勾欄の上段(1段または2段)が上下し、上昇したときには2倍もの高さになる。勾欄を全部下ろした状態は、舞台屋台に見えます。車輪は4輪で前輪が左右90°旋回する、 大八車と同じ形状の車輪を使い。屋台を支えるには十分な強度を持ち曲がることに関しても、威力を発揮し性能がよい。道が狭くカーブの多い沼田には最適な車輪です。また、坂道が多いため後輪に手動ブレーキを使用しております。最上部に乗る山車人形は京都祇園祭の長刀鉾の長刀を打ったという名工、三条小鍛冶宗近の伝説の一つ小鍛冶を題目に制作、人形及び面は面六人形師、田口義雄氏により制作。宝刀(小狐丸)は人間国宝 大隅氏(故)により打たれた物。
平成15年 岩槻市の八作さんにより、人形衣装等を新調する。
おぎょんの祭り衣装は、半纏の色や模様は各町内独自のもの。統一された鯉口シャツや腹掛け、股引を使用する。か組の祭り衣装は鯉口シャツ・揃いの股引に半纏を半纏帯で締め、雪駄にはちまき、またはてぬぐいかぶり。小物は巾着袋や扇子。特にか組では上記の画像の通りか組半纏の他、各会(祭吉連・呑気連)など独自の半纏も着用している。


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沼田祇園囃子保存会連合会

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沼田祇園囃子保存会連合会

〒378-0047
群馬県沼田市上之町1155 事務局
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