戦前には木組みの山車を出していたが、その当時の記録は皆無である。戦後の昭27年から33年頃まではトラックを山車にして、お囃子は町内の子供達があたり、笛は渋川や他町に依頼して実施していたが、大きな出費がかさみ、それに当時の時代背景がてつだって中止された。昭和53年に坊新田の若手有志が集い「昭親会」を結成し、会の事業として山車を出そうとの気運が盛り上がり、上之町祭吉連や笛朋連の指導のもと、まずお囃子の練習に取り組み、昭和56年会員の手作りで山車を製作し、坊新田町区に寄贈した。平成23年に飾等一部を改修し現在に至っている。